瀬戸内の海水を汲み、コメを洗い、羽釜で炊き上げます。
1130時、無事に接岸
この大津島、回天の島として有名。
島猫がお出迎えしてくれました。
そこへ・・・
この未確認生物って、もしかしてアレですかねぇ、アレ!
未確認生物・・・
歯ごたえもあ味もあり、とってもおいしゅうございました。
徳山のフェリーターミナルへ行く道に、回天のレプリカがありましたよ。
瀬戸内のヨット乗り旅行最終日、ヨットオーナーのAさんに車でホテルまで送っていただきます。
Aさん、今日までG.W.中、お世話になりました。
今年の大分湯けむりレース、またお世話になると思いますがよろしくお願いいたします。
「天然 徳山ふく」って・・・何?
さて、翌日・・・帰京の日、
レンタカーを借り、陸路で徳山から呉の先にある倉橋島を目指します。
呉の軍港が見えました。
呉の先にあったお好み焼き屋さん「八木」で昼飯
素朴な味わいの広島焼でしたよ。ソースがすごく甘いのね。
1300時、倉橋島の田原地区にある専教寺さんへ
1週間くらい前、5月7日にお伺いする約束を電話でしていたのであった。
神戸の叔母の話だと、こちらのお寺に3代前のご先祖さん、「砂古入平」の墓があるというので訪問して確かめようかと・・・
現在の私の苗字は「○○」ですが、「砂古」という苗字がご先祖様だそうです。
時は江戸時代末期・・・
広島の呉、その先にある倉橋島が舞台のお話。当時の倉橋島に女方の4代前のご先祖様の別荘があったそうだ。して、男方のご先祖「砂古入平」は呉にある廻船問屋にいたんだそうな。
そして何のきっかけか、あるいは運命のいたずらか・・・入平は10代の武家の娘「霜平きぬ」と互いに恋に落ちる。しかし時代が時代。町人は武家とは結婚できぬ、まさに実らぬ禁断の恋・・・
そこで一計を案じた入平は、追手を振り切るためか、あるいは死んだと思わせるためなのか、嵐が近づいたときを見計らい、きぬと共に船で神戸へと駆け落ちした。
駆け落ちした神戸で○○という子供のいない家庭の養子となったそうな・・・
という流れが、過去にあったということを知り、
専教寺さんのご住職とお会いしてお話を伺ったところ・・・砂古入平の墓は結局のところなかったのであった。
というか、お寺の墓地は最近になって作ったが、
それまでは各ご家庭が自分の敷地内に自家墓を作っていたそうだ。
過去帳を紐解いて調べてもいただいたが、砂古という苗字はここらへんに確かにあって、
今もこの地域に6件ほどあるそうだ。
入平の両親の名前(4代前)がわかれば、もしかしたら見つかるかもしれない・・・とのこと。
寺の門の前に日露戦争 支那事変 大東亜戦争の慰霊碑があったので見てみると・・・
確かに、砂古という苗字のかたも5人、名前が刻まれておりました。
さて、時間が余ったので、本来なら大和ミュージアムか、てつのくじら館へ行く予定だったが、なんと火曜が定休日!!なのでやってない。
ならばと、この先の江田島(えたじま)へ移動。
海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校跡地)の見学へ参加してきた。
1500時の見学会、17名参加。
ボラードの並び方が美しい
戦艦大和の砲弾とか・・・
特殊潜航艇とか・・・
最後に江田島クラブのお土産売店で海上自衛隊の刺繍ワッペンを購入。
ちなみに海上自衛隊の艦長帽や制服、一般人には売ってくれないそーです、当たり前か。
帽子は3万くらいしましたぞ。
干潮時間なので、牡蠣が干上がってました。
こういう景色をご先祖さんは見ていたのだろうかと感慨にふけりながら・・・
広島空港までひた走る。
倉橋島 田原バス停付近
この上に専教寺さんがあった。
そしてG.W.6日間の旅、広島からANAに乗って無事に帰京しましたとさ。