我思う 故に我あり って言葉がありますよね。
確か、デカルトが云った言葉であると記憶してるが、やみくもに奥が深い。
これって、自分を意識してなければ、もしくは意識できなくなれば 無 ということでしょ?
しかし、自分を意識しててもそれで自分が現実に存在してるということの証明にはならない・・・
というわけで、(HDD8TB3個でRAID5構成された16TB)映像サーバーから以下のような映画を7本立て続けに見てみた。
まずはデカいスーパーコンピューターに人の意識をコピーしてしまうという映画。
1,トライセンデンス (2014年ウォーリー・フィスター)
ヒトの意識ってなんでしょう?
生きてるってどーいうことでしょう?意識があれば肉体が無くても生きてるってこと?
機械にインストールした人の意識って果たして人間として成立するもんなんでしょうか?
この映画、ジョニー・デップとモーガン・フリーマンを無駄遣いしてると酷評されてたけど、面白いと思いますよ私はね。
ハナシは関係ないけど、意識をインストールしたスーパーコンピューターらしき物体に「コンピューティング」ってカタカナで書いてあったりして笑える~んですけどねこの映画。コンピューティング(計算すること)っていう動名詞が装置の名前ってーのはおかしいだろ?
って、一応突っ込んでおく。
JAMSTEC(独立行政法人海洋研究開発機構)のスパコンには当然そんなこたぁー書いてないけどね。
さて次は、夢の中と現実との区別がつかなくなる映画。
2,インセプション (2010年クリストファー・ノーラン)
夢と現実の差って?
夢を見てる間は、その夢がいかに現実離れしていようと現実として体験してるわけであって、夢の中で「あっ これは夢だ!」ってわかる人は非常に珍しいのではないかと・・・
夢と現実がわからなくなったら、えらいこっちゃ です。ほんとに。
そもそも、夢ってもの自体が自分が作り出してるVR(バーチャルリアリティ)じゃないのか?
自分で作ってるかどうかも証明できんけど。
さて、仮想現実を描いた有名な映画3部作+番外編。
3,マトリックス (1999年ウォシャウスキー兄弟)
4,マトリックス リローデッド (2003年ウォシャウスキー兄弟)
5,マトリックス レボリューションズ (2003年ウォシャウスキー兄弟)
6,マトリックス レザレクションズ (2021年ラナ・ウォシャウスキー)
ま、今見ても面白い映画。
立て続けに見ると現実逃避できて効果大。(笑)
現実社会でヤなことがあったら一時的に逃げるのもアリかもよー。
でも、ずっと逃げちゃーダメですよー
仮想現実と言えばこの映画か・・・
7,レディ・プレーヤー1 (2018年スティーヴン・スピルバーグ)
最近はやりのメタバースって今後、どんだけー? なものになっていくのか・・・
マトリックスじゃーないけれど「背中にプラグを刺せば、そこはメタバース」ってことになったら、ヒトという生物は終わるんじゃーないかしらねぇ・・・それともすでにプラグが刺されてるかも実体の方に。
あまりにもVRな映画を立て続けに見てたので、ゴジラスリッパをはいてパソコンを打っている今の自分が存在するのかどうか疑わしくなってきたぞー、ますます。
自分の足元でさえ、もしかしたら・・・
みっちゃんぽんは生まれてからこのかた、ずっと生活してきたわけですが、それは自分の記憶の上ではの話で・・・もしかしたら・・・
もしかしたらたった5分前に、過去の膨大な記憶データを完璧にインプットされた初期設定がロードされたばかりのプログラムなのかもしれんね、そうではないと証明できんし、そうであるとも証明できない。
頭が痛くなってきたので、このへんで・・・
と、うにゃむにゃと誤魔化すことにする。(笑)
これ以上不都合な真実を書くとDelされちゃいますからねぇ・・・私というプログラム。(おーコワ~)